東京高等裁判所 昭和33年(う)1224号 判決 1959年4月30日
控訴人 原審検察官 松本正平
被告人 小泉秀彦 弁護人 山本博
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、検察官提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人等提出の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して次のとおり判断する。
検察官控訴趣意第一、二点について
所論は要するに原判決には事実の誤認及び法令の解釈適用の誤りがある旨主張する。
仍つて本件記録を精査し、原判決を仔細に検討勘案するに、本件昭和二七年五月三日附起訴状記載の公訴事実第二によれば、「被告人は昭和二七年五月二二日附庵原郡興津町谷津四〇五番地の被告人自宅で、巡査水島資次に対する脅迫の事実に基く裁判官の令状発布の事実を告げて同被告人の逮捕に着手した国家地方警察西庵原地区署勤務の巡査川口幸義及び薩川俊一両名に対しその逮捕を免れようとして両手を振り廻し或は之に突きかかる等の暴行を加え因つて右川口巡査に対し全治約五日間を要する右手背部挫創、右薩川巡査に対し全治約一週間を要する右中指挫創の各傷害を負わしめ、同時に右両名の職務の執行を妨害したものである」というにあるところ、原判決が「巡査水島資次に対する脅迫事件の被疑者として被告人小泉秀彦を逮捕するため、昭和二七年五月二二日山崎淑郎警部補が逮捕状を所持して他の二名と共に両河内村に向い、また、川口巡査、薩川巡査は同被告人の自宅に向つたが、同日午前一時頃同被告人が自宅に現在していることを確認したので、右川口、薩川両巡査は逮捕状を所持している右山崎警部補の廻来を待つことなく、直ちに同被告人宅に赴き、同被告人に対し、あなたが小泉さんか、五月一九日附で静岡地方裁判所の裁判官の脅迫罪容疑による逮捕状が出ているから逮捕する旨告げて手錠を掛けんとしたが、同被告人は逮捕状を見せろ、逮捕状がないから逮捕ができないと主張して逮捕されることを拒み、右両巡査に対し、両手を振り廻し、或いはこれに突きかかる等暴行し、よつて川口巡査に対し全治約五日間、薩川巡査に対し全治約一週間を要する各傷害を蒙らしめたこと、右逮捕当時同被告人に対して脅迫の被疑事実による裁判官の逮捕状が発せられていたこと、しかし、前記両巡査は、右令状を所持せずして逮捕に赴いたのであるが、逮捕するに際しては同被告人に対し、脅迫罪容疑で逮捕令状が発せられている旨を告げたにすぎないことを認定した上、本件被告人に対しては、川口、薩川両巡査が逮捕状なしで逮捕せねばならないような特別の事情があつたことは到底認められないから、本件逮捕は刑事訴訟法第二〇一条第二項第七三条第三項の「急速を要するとき」という緊急執行の要件を具備していないと共に、川口、薩川両巡査は被告人に対し脅迫罪で逮捕状が出ている旨を告げただけで、いきなり被告人の逮捕に着手しており、被疑事実の要旨を告げていないから、本件逮捕は逮捕状の緊急執行の重要な形式を履践していないところであり、而して逮捕に関する右の規定は、国民の基本的人権と重大な関係を有する厳格規定であるから、前記の如き緊急性の要件を具備せず又その方式を履践しない逮捕行為は刑法上の保護に値しない違法のものであり、従つて被告人がこれを排除するため暴行を加えても、公務執行妨害罪は成立せず、また、その暴行により前記両巡査に傷害の結果を生じても、正当防衛の範囲に属するものと認められるから犯罪の成立を阻却するとして無罪の言渡をしていること洵に所論のとおりである。
ところで、所論のうち先ず原判決には事実誤認がある旨の論旨(控訴趣意第二点)によれば、原判決が前示の如く本件被告人に対しては、川口、薩川両巡査が逮捕状なしで逮捕せねばならないような特別の事情があつたとは到底認められない旨認定して本件逮捕は違法であり、従つてこれに対する暴行は犯罪を構成しないとしているけれども、これは具体的な証拠に基かずして事実を誤認したものであるというのである。
ところで、右所論に基き本件記録を精査し、記録上現われている全証拠(当審における事実取調の結果をも含めて)を仔細に検討考究するに、原審証人川口幸義、同薩川俊一の各証言、当審証人川口幸義、同薩川俊一の各供述、当審における被告人の供述によれば、川口、薩川両巡査が被告人を逮捕するため静岡県庵原郡興津町谷津四〇五番地の被告人宅に出向いた当時には被告人は屡々両河内村等に出かけ自宅に定住していなかつた事実、右両巡査が逮捕に赴いた当日も被告人は両河内村方面に現在する旨の情報に基き被告人及びその共犯者を逮捕する為、山口警部補が逮捕状を所持して同方面に赴いている事実並びに被告人はその日の朝迄両河内村望月武福方に滞在し、その日の朝自宅に帰つた事実を夫々認め得るのであつて、従つて、右の逮捕に赴いた当時には、被告人が果して自宅に現在するか否か頗る不明確であり、自宅に現在することは殆ど予期し得ない状況にあつたことを認め得るのであつて、更に何時何処に出掛けて行くか計り難い状況にあつたことが容易に推認されるのである。而もこれに加うるに前記川口、薩川両証人の原審並びに当審における各証言により窺い知られる右両巡査が被告人宅に被告人の在宅することを確認した上、被告人に対する逮捕状の所持者である山崎淑郎警部補に対し電話連絡を数回に亘つてしようとしたのであるが、電話が通じないため遂に約一時間近くの時間を空費しその連絡さえつかず、旦つ両河内村と被告人宅との間は距離的にいつても三里位離れていて、右両巡査の孰れかが山崎警部補の許に逮捕状を取りに行くのは極めて困難であつたのは勿論、何時山崎警部補が逮捕状を持参して来るかは殆んど予測し難い状況にあつた事情等を仔細に検討勘案すれば、川口、薩川両巡査の本件被告人逮捕当時の状況は刑事訴訟法第二〇一条第二項の準用する同法第七三条に所謂「急速を要するとき」に該当するものと認めるのが相当である。されば原判決が川口、薩川両巡査が本件被告人を逮捕するに際し、被告人に対しては全国的に又は比較的広範囲にわたつて指名手配がなされたという事案ではなく被告人の所在はその自宅及び両河内村に限定されていたことでありまた両巡査は逮捕行為に着手する約三〇分乃至一時間前に被告人が自宅に現在することを確認し且つその後川口巡査が張込をしていたのであるから、右両巡査が被告人を逮捕するに当り逮捕状なしで逮捕せねばならないような特別の事情、すなわち、緊急執行の要件としての「急速を要するとき」という事由があつたものと認められない旨説示しているのは正しく事実誤認の違法、若しくは法令の解釈を誤つた違法があるものというべきである。然し乍ら、次に判断するように本件川口、薩川両巡査の被告人の逮捕は緊急執行に当り履践せらるべき重要な方式に違反し公務執行としての適法性を欠くものであつて、此の点からして原判決は結局正当なものということができるのであつて、前記の違法は原判決に影響を及ぼさないものと認められるのである。結局論旨はその理由がない。
次に所論のうち法令の解釈適用に誤りがある旨の論旨(控訴趣意第一点)につき按ずるに、憲法第三三条刑事訴訟法第二〇一条第一項によれば、逮捕状によつて被疑者を逮捕するには逮捕状を被疑者に示さなければならないし、また、刑事訴訟法第二〇一条第二項第七三条第三項によれば逮捕状を所持しないためこれを示すことができない場合で急速を要するときには、被疑事実の要旨及び逮捕状が発せられている旨を告げなければならないとされているのであるが、これらの規定は国民の基本的人権と極めて重大な関係を有する厳格規定であるから、その所謂緊急性の要件を具備せず、且つその方式を履践しない逮捕行為は違法であつて法律上保護せらるべき法益に当らないものと解すべきである。
今本件についてこれを観るに、川口、薩川両巡査の被告人に対する逮捕は逮捕状が発布されているのにこれを所持しないでなした刑事訴訟法第二〇一条第二項第七三条第三項所定の所謂緊急執行と見られるところ、原判決理由によれば本件川口、薩川両巡査の被告人の逮捕は先ず緊急執行の要件である「急速を要するとき」に当らないとしているのであるが、既に前段説示のとおり本件逮捕は緊急執行の緊急性の要件としての「急速を要する」場合に該当するものと認められるのであるから、此の点に関する限りにおいては、川口、薩川両巡査の本件被告人の逮捕はその職務行為としての適法性を具備するものである。
然し乍ら、前掲各証拠によれば、本件被告人の逮捕に際して、川口、薩川両巡査において被告人より再々逮捕状の提示を求められたに拘らず、単に被告人に対する脅迫容疑による逮捕状が発布されている事実を告げただけであつて、被疑事実の要旨は全然これを告げなかつたこと洵に明らかである。
惟うに逮捕状の緊急執行による逮捕手続の方式として逮捕状が発せられていること及びその被疑事実の要旨を告げるべきことを規定している法意は、逮捕される側に対して既に逮捕状が発せられていながら、これを示すことができない場合にこれに代る手続として如何なる被疑事実により逮捕されるものであるかを知らしめ安じてこれに応ぜしめようとする趣旨に出でたものであつて、その孰れの事項も国民の基本的人権と重大なる関係を有するのであつて緊急執行手続上欠くことの出来ない重要なる方式と解せられるのである。然るに本件逮捕に当つては充分にこれが被疑事実の要旨を告げる余裕が存在するに拘らず(蓋し被告人は再三に渉り逮捕状の提示を求めていることに照らし)、単に脅迫罪による逮捕状が出ている事実を告げたに止まり、被疑事実の要旨を告げなかつたのであるから、此の点において本件逮捕手続たるや不適法のものであつて刑法第九五条所定の公務員の職務の執行に該当しないものといわなければならない。この点につき所論は、前記両巡査は被疑事実の要旨と令状が発せられている旨を告げなければならないのを誤解して、単に罪名と令状が発せられている旨を告げれば足るものと考え、被告人に対し脅迫の容疑により逮捕状が発せられている旨を告げて逮捕せんとしたものであるから、該逮捕行為は法令の定める手続には違背しているけれども、その瑕疵の程度は左程重大ではなく、なお一般の見解上一応形式的には前記巡査等の一般的権限に属する適法な職務行為と解すべき旨主張するのであるが、逮捕のように被逮捕者の基本的人権に重大な制約を加える場合にあつては、逮捕の円滑強力な執行を要請する国家的利益を考慮する必要性の大なることもさることながら、これにより被逮捕者の基本的人権を不当に侵害することのないよう職務行為の適法要件は厳格に解するのが相当であつて、逮捕手続を定めている規定を厳格規定と解すべきこと前記示の通りである。ところで、所論のように前記警察官において逮捕手続を誤解した為、罪名を告げたに止り、被疑事実の要旨を告げなかつたとしても、斯の如きは逮捕に当り警察官として当然遵守すべき重要な手続を履践していないことは勿論、罪名を告げただけでは、被疑事実の要旨を告知することにより実現しようとした前説示の法の目的を達成し難いと認められるから、罪名を告げただけで直ちに被疑事実の内容を察知することができ、被疑者においても敢えて逮捕状の呈示を求めないような場合は兎も角として、そうでない限り所論の瑕疵を目して左程重要でない軽微なものと解することは当を得ないものといわざるを得ないのであつて、従つてまた斯る瑕疵ある職務行為を適法なものとは解し難いのである。また警察官において、所論のような誤解をした為、本件逮捕を適法と信じたとしても、職務行為が適法要件を備えているか否かは、客観的見地から判断すべきものであるから、この点からも本件逮捕を適法なものとは解し難い。そして本件においては、被告人が再三逮捕状の呈示を求めていることは前説示の通りであり、更に罪名を告げただけで、被告人において被疑事実の内容を察知し得る状況にあつたとか、或は現にこれを察知していたものと確認するに足る証拠は存在しないのであるから、孰れの点から考えても所論は採用の限りでない。従つて原判決が本件逮捕行為は違法なものであり、被告人がこれを排除するため暴行を加えても、公務執行妨害罪は成立せず又暴行により両巡査に傷害の結果を生じても、右両巡査の実力行使を免れるためとつさの間になされた所為であつて法律上正当防衛の範囲に属するものと認められるから犯罪の成立を阻却するものとして前記公訴事実につき被告人に対して無罪の言渡をしたのは洵に相当であつて、原判決には所論の如き法令の解釈適用を誤つた違法は存しない。所論は畢竟独自の見解というの外なく、論旨はその理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 山本謹吾 判事 渡辺好人 判事 目黒太郎)
検事正代理次席検事内田達夫の控訴趣意
被告人に対する公訴事実は
第一、被告人は谷口満夫こと大畠稔こと荻沢稔と共謀の上駐在所巡査を脅迫してその正当な職務行為に不当の掣肘を加えようと企て
(一) 昭和二十七年五月九日庵原郡両河内村和田島巡査駐在所で同所勤務の巡査水島資次に対し「日本共産党の者だ」と前置した上交々語気鋭く同巡査が同村居住の望月武福に対し昭和二十五年政令第三百二十五号違反事件関係者として不当の弾圧をしたものといいがりをつけた上「この事を本署に連絡するともつと重い責任を持つてくるぞ」の旨申向け要求に応じないときは如何なる危害を加えるかも知れないことを暗示して脅迫し
(二) 翌十日再び右同所で同巡査に対し「お前に俺があれ程いつておいたのに昨夜は大きな網を張つたな、獲物があつたろう」「これから部落へ紐つきをおいて俺達の行動を捜り情報をとらせ連絡をすると承知せんぞ」等と怒鳴り散らした上「これから新聞やビラを配つたのを集めたり俺達の行動を捜つたりするとたんまりお礼をするぞ、今度のことも本署に連絡するな」の旨申向け要求に応じないときは如何なる危害を加えるかも知れないことを暗示して脅迫し
第二、被告人は同月二十二日同郡興津町谷津四百五番地の同被告人自宅で前記第一の事実に基く裁判官の令状発布の事実を告げて同被告人の逮捕に着手した国家地方警察西庵原地区署勤務の巡査川口幸義及び薩川俊一両名に対しその逮捕を免れようとして両手を振り廻し或はこれに突きかかる等の暴行を加え因て右川口巡査に対し全治約五日間を要する右手背部挫創、右薩川巡査に対し全治約一週間を要する右中指挫創の各傷害を負わしめ、同時に右両名の職務の執行を妨害し
第三、被告人は昭和二十六年九月頃より昭和二十七年三月二十五日頃迄の間約七日に亘り庵原郡興津町清見寺百二十六番地市川隆方に於いて同人に対し連合国に対し破壊的な批判を加えた「平和と独立」紙第五十九号乃至百三号のもの一部乃至二部会計二十五部を頒布して論議し以つて占領目的に有害な行為を為したものである。
であるが右につき、原判決は、第三、の政令違反の点は免訴、第一、の(二)の脅迫につき。懲役二月但し一年間執行猶予、その他は無罪の言渡しをした。しかしながら原判決が前記公訴事実第二、の公務執行妨害並びに傷害の点を無罪にしたことは、法令の解釈適用を誤り且つ事実を誤認したもので判決に影響を及ぼすことが明らかであり、ひいては被告人に対する刑の量定が不当に軽きに失したもので破棄を免れないものと思料する。左にその理由を述べる。
第一点、原判決は法令の適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
原判決は前記公訴事実第二、につき、「巡査水島資次に対する脅迫事件の被疑者として被告人小泉秀彦を逮捕するため、昭和二十七年五月二十二日山崎淑郎警部補が逮捕状を所持して他の二名と共に両河内村に向い、また、川口巡査、薩川巡査は同被告人の自宅に向つたが、同日午前十一時頃同被告人がその自宅に現在していることを確認したので、右川口、薩川両巡査は逮捕状を所持している右山崎警部補の廻来を待つことなく、直ちに同被告人宅に赴き、同被告人に対し、あなたが小泉さんか、五月十九日付で静岡地方裁判所の裁判官の脅迫罪容疑による逮捕状が出ているから逮捕する旨告げて手錠を掛けんとしたが、同被告人は逮捕状を見せろ、逮捕状がないから逮捕ができないと主張して逮捕されることを拒み、右両巡査に対し、両手を振り廻し、或はこれに突きかかる等暴行し、よつて川口巡査に対し全治約五日間、薩川巡査に対し全治約一週間を要する各傷害を蒙らしめたこと、右逮捕当時同被告人に対して脅迫の被疑事実による裁判官の逮捕状が発せられていたこと、しかし前記両巡査は、右令状を所持せずして逮捕に赴いたのであるが、逮捕するに際しては同被告人に対し、脅迫罪容疑で逮捕令状が発せられている旨を告げたにすぎないこと」を認定した上、(一) 小泉被告人に対しては全国的に、または比較的広範囲にわたつて指名手配がなされたという事実ではなく、同被告人の所在はその自宅および両河内村に限定されていたようである。また、右両巡査は逮捕行為に着手する約三十分乃至一時間前に、同被告人が自宅に現在することを確認し、且つ、その後川口巡査が張込みをしていたのであるから、逮捕状なしで逮捕せねばならないような特別の事情があつたとは到底認められないから、本件逮捕は刑事訴訟法第二〇一条第二項、第七三条第三項の「急速を要するとき」という緊急執行の要件を具備していない。(二) 更に、川口、薩川両巡査は、同被告人に対し脅迫罪で逮捕状が出ている旨を告げただけで、いきなり小泉秀彦の逮捕に着手しており、被疑事実の要旨を告げていないから、本件逮捕は緊急逮捕の重要な形式を履践していない。而して、逮捕に関する右の規定は、国民の基本的人権と重大な関係を有する厳格規定であるから、前記の如き緊急性の要件を具備せず又その方式を履践しない逮捕行為は刑法上の保護に値しない違法なものであり、従つて同被告人がこれを排除するため暴行を加えても、公務執行妨害罪は成立せず、また、その暴行により前記両巡査に傷害の結果を生じても、正当防衛の範囲に属するものと認められるから犯罪の成立を阻却するとして無罪の言渡をした。しかしながら、本件逮捕行為が、仮に原判決のいう如くに緊急執行の要件である「急速を要するとき」にあたらないものとして、又被疑事実の要旨を告げなかつたために、職務執行行為として瑕疵があつても、そのことから直ちに、本件逮捕が法律の保護に値しない単なる個人の逮捕行為と同視さるべきものであり、従つてこれに対する被告人の暴行が公務執行妨害罪を構成しないものと速断してはならない。公務執行妨害罪は、公務員がその一般的権限に属する事項に関し法令に定める手続に準拠してその職務を執行するに当り之に対し暴行又は脅迫を為すによつて成立するもので、仮令、当該手続に関する法規の解釈適用を誤りたるため手続上の要件を充さない場合と雖も、一応その行為が形式的に公務員の適法な執行行為と認められる以上公務執行妨害罪の成立を妨ぐるものではない。本件において、前記両巡査は、被告人に対し脅迫罪の犯人として裁判官の逮捕状が発せられていることを知り、之が緊急執行のため右令状を所持しないまま被告人の依命逮捕に赴いたもので、前記被告人自宅で被告人を発見したが、逮捕状の所持者に連絡してこれを被告人に示す時間的余裕がないものと考え、又被疑事実の要旨と令状が発せられている旨を告げなければならないのを、誤解して、単に罪名と令状が発せられている旨を告げれば足るものと考え、被告人に対し脅迫の容疑により逮捕状が発せられている旨を告げて逮捕せんとしたものであるから、該逮捕行為は法令の定める手続には違背しているけれども、その瑕疵の程度は左程重大ではなく、なお一般の見解上、一応形式的には前記巡査等の一般的権限に属する適法な職務執行行為と解すべきである(「急速を要するとき」につき昭和二五・一二・一九・東京高裁判決、高等裁判所刑事判決特報一五号五一頁、「犯罪事実の要旨を告げる」につき昭和二七・一・一九・福岡高裁判決、高等裁判所刑事判例集五巻一号一二頁参照)。従つて被告人が同巡査等の右職務執行に当り前記暴行を加え負傷せしめた所為は当然公務執行妨害罪並びに傷害罪を構成するものといわなければならない。それ故、原判決が前記巡査等の逮捕行為が手続上違法であつたというだけの理由で輙く被告人の之に対する暴行は何等罪とならないと判断したことは、法令の解釈適用を誤つたものというべく、この誤が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。
第二点、原判決は、事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
原判決は、「川口、薩川両巡査は、逮捕状を所持したいで、小泉被告人の逮捕行為に着手したのであるが、同被告人の所在はその自宅及び両河内村に限定されていたようである。また、右両巡査は逮捕行為に着手する約三十分乃至一時間前に、同被告人が自宅に現在することを確認し、かつ、その後川口巡査が張込みをしていたのであるから、逮捕状なしで逮捕せねばならないような特別の事情があつたとは到底認められない」旨判示している。しかしながら、刑事訴訟法第二〇一条第二項、第七三条第三項の「急速を要するとき」とは、被疑者を発見したが、逮捕状の所持者に連絡してこれを被疑者に示す時間的余裕がない場合を意味するものであり、而して、本件証人薩川俊一の供述「当時小泉は両河内の方に居るという情報が入つたので、主任外三名がその方に行つたわけです、それで逮捕状は主任の行つた方に持つて行つたのです」(記録一七六丁)。同人の供述「逮捕に行く十一時一寸前に、駐在所で小泉が居るということが判つたので、令状を持つている「人に電話したが、電話が出なかつたのでそのままになつてしまつたのです」(記録一八四丁)。証人川口は幸義の供述「バスの連絡も不便だし、自転車でも十分や二十分で行くことは出来ないし、何処に逮捕状が行つているのかそれも判らないので、逮捕状を待つという余裕はなかつたのです」(記録二一一丁)。同人の供述「地理的、時間的に考えてみても判ると思いますが、そうしたこと(逃走の虞)はあると思いました」(記録二一八丁)。以上を綜合すると、川口、薩川両巡査は、被告人の所在を確認したが、当時逮捕状は捜査主任が所持して両河内の方え捜査に出かけて居り、しかも、交通不便な土地である関係上これとの連絡が困難なため、主任に連絡をとつて逮捕状を取り寄せる時間的余裕がなかつたことが認められるのであつて、これは明らかに法令の「急速を要するとき」に該当する(同旨昭和三一・三・九、最高裁第二小法廷決定、集一〇巻三号三〇三頁参照)。然るに、原判決が具体的な証拠に基かずして漠然と逮捕状なしで逮捕せねばならなかつたような特別の事情がなかつた旨認定して本件逮捕は違法であり、従つてこれに対する暴行は犯罪を構成しないとしたのは、事実の誤認であり、この誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決はこの点においても破棄を免れない。
(その他の控訴趣意は省略する。)